町の誕生は慶長年間に遡り、藍染めを生業とする染め物屋が多 かった事からこんやちょうの名前が付いたとされています。
江戸時代には紺屋町には、藍染めを手がける染物屋が軒を連ねていました。
上の浮世絵のように藍や紺の手染めの布が、あたかも万国旗のように町を彩 (いろど)っていたというわけです。
江戸時代から明治期にかけて、手拭(てぬぐ)いや浴衣(ゆかた)の一大生産地でした。
「その年の流行は紺屋町に行けばわかる」といわれ、江戸の流行の発信地でもありました。
紺屋町で染められた手拭いや浴衣は、江戸っ子たちにもてはやされ、なかには紺屋町以外で染めたものを「場違い」といって敬遠する人まで現れたほどです。
東京千代田区の歴史から抜粋
|