■ 紺屋町の名前の由来
町の誕生は慶長年間に遡り、藍染めを生業とする染め物屋が多 かった事からこんやちょうの名前が付いたとされています。
本 社
TEL:03-3256-8651
〒101-0034
東京都千代田区神田東紺屋町30番地
サンハイツ神田北村ビル4F |
工 場
TEL:04-7188-0161
〒270-1121
千葉県我孫子市中峠1538番地 |
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会長挨拶 |
我々は『虹は七色か』ときかれると、反射的に『七色』と答える。でも本当に何色あるか数えた人は少ないでしょう。そう、実際にみるとよく判らない。古代ギリシャでは、虹は四色と見なされていました。
なぜか。
それは古代ギリシャ語に色の言葉が少なかったためです。そして将来人類は、人間の感覚の進化により 『虹は十二色』と考える時代が来るのだそうです。
人間の物事への認識は、言葉という概念に規制されます。言葉がなければ、人間は考えることが出来ません。 考えが生まれなければ、人間は行動出来ません。
すなわち、私が言いたいことは、我々は日々、新しい事態に直面し続けています。新しい事態には新しい考え、態度で臨まなければならない、ということです。
これからは、私たちの顧客が我々を選別し、顧客のニーズに適した会社しか社会的に生き残る事は出来なくなりました。 私たちは改めてこの事実をよく理解しなければなりません。
これは単に過去の取引関係とか、発注担当者との仲が好いとか悪いとかではなく、また、その他の利害関係があるからと言って、もはや他社と比べて有利でも、不利でもなくなってしまいました。
これからは、極めて単純で、明らかで、もっとも難しいこと、
「顧客が求めている品質」を
「顧客が求めている時」に
「顧客が納得する価格」で
提供できるかどうか、それだけなのです。
我が社はその三つを同時に達成するように、努力します。
そして、努力し続けようではありませんか。このために、私は次のようなことを皆さんに分かって欲しいのです。そして、実行して欲しいのです。
わたしは、我が社の代表として、我が社の顧客に次のように約束したいのです。
我が社は我が社のためだけに存在するのではありません。
経済社会に意義ある存在を占めるために、 国家や地元に税金という形で貢献し、事業所の地域と仲良くつきあい、従業員の生活を保証し、 企業として業界他社と健全な関係を保持し、下請負先と協力し、 そして顧客に上記の三つをもって商品を供給します。
代表取締役会長:福武 正廣
以下は、月間プリテックステージ2015年4月号 掲載文の引用となります。
人から多くを学び、糧にする
フォーム印刷会社のデジタル印刷ビジネス
印刷産業に限ったことではないが、企業における大きな課題の一つに、後継者問題がある。先頃、某有名家具販売会社でお家騒動が勃発していたが、どのような理由であれ、企業の大小に関わらず、家族経営の企業にとっては特に、事業継承問題が存在することが見えてくる。
そうした中、最近の日本の印刷会社には、これまでにご子息に譲られることが多かった事業継承について、ご息女やお婿さんに事業を託すというケースも増えてきているように思う。
何を隠そう、太平洋印刷株式会社の福武会長も、奥様の実家の家業を継いだというのが、継承の経緯である。同社は、昭和23年に創業し、昭和32年からカーボン印刷を開始、ビジネスフォーム印刷を中心に事業を伸ばしてきた。専業としているビジネスフォームの仕事では、印刷から市販される状態の梱包まで行い、納品する。
たとえば、ソフト製作会社や官庁への伝票では、印刷に加え、綴じ・穴あけ・ミシンなど後加工や、ものによっては下敷きの部分もつけた製品化などもあるという。
なお2009年、コダックNexPress S3000を導入し、オンデマンド印刷事業もスタート。それまで外注に頼ってきたカラー印刷への対応で、4色印刷機では高額になりすぎることから選択したのが、デジタル印刷機だった。
最近では、フォーム印刷の市場でも、デジタル印刷を利用して可変データを印字するのも当たり前となってきた。同社の場合、無線綴じ機なども設置していることからオンデマンド印刷によるマニュアル作成などにも取り組んでいる。
福武会長が入社したのは約30年前。32、3歳の頃だった。諦めない根性を身に着けるきっかけとなったという大学受験では、”無理な大学を目指して二浪もした”と表現しつつも、京都大学経済学部に入学。
卒業後は、大手総合商社に就職し、調味料の砂糖の取引を担当した。フィリピン、タイ、オーストラリア、南米アメリカ、ヨーロッパ、時には北海道など、約40ヵ国を歩いた。中でも、アフリカや中近東などは砂糖の摂取量は格段に多い場所で驚いたという。
こうした文化や国の違いはあれど、雑談で交わす日常会話から感じたことは、「人間としてはみんな、根底は同じです。国や言葉、文化、思想や信条が違っても、家族や子供、健康や将来を心配して、素晴らしいことに感動する。苦労しながら生きているのはみな同じ」ということだった。
多くの国を回った中でも、フィリピンのプールサイドやキューバの海辺のホテルで見た、日が沈んでいく素晴らしい景色は、昼間の暑さと対照的で、夕方の黄昏時の景色が素晴らしく印象に残っている。
サラリーマンとして忙しい日々を過ごす中で、そうした景色を見ると、「日常とは違う風景であり、これでこそ人間の生きる所だと癒されました」と思い出を語る。
総合商社に約10年勤務した頃、奥さんが長女であったということもあり、会社を継いでほしいと打診を受ける。「相談されてしまってはしょうがないですよね」と、役員待遇で昭和59年に入社。創業者の義父が昭和50年に他界。その後、義母が会社を継いでいた。
数千人を超える社員を抱える総合商社から、100人弱の会社への転身。会社内の雰囲気もゆったりしており、「それまでいた会社とは規模もそうですが、組織そのものも大きく異なり、戸惑いました」と振り返る。
太平洋印刷も最盛期には社員を120人位抱えていたが、福武会長が入社した頃は、景気も厳しくなってきた頃だった。経費対策として、お給料に影響が出そうになった頃、自主的に退職する人があり、自然とリストラが進んだ。
リストラは経費対策としては助かるが、生産を維持できるかが不安だった。しかし、驚いたことに生産量は変わらず、従来通りの仕事が維持できた。人がいないなりに作業を効率化するなど工夫もあって、生産の最適化が図られたのだ。結果として、利益を生むことに繋がったという。
入社した当時、役員とはいえ、全くの畑違いで何もわからないうえ、役付きの人は年上ばかり。こうした人は、”仕事をもっている人”であり、稼ぎ頭だったりする。他業種から入社してきた者としては「話が合うわけありませんよね。業界との交流もない感じでしたから余計です」。
事業を進めるにあたっては、見解の相違もかなりあったが、説明し、話し合って折り合いをつけてきたという。そして入社して約10年位経った頃、2代目会長を務めていた義母からの要望もあって3代目の社長に就任することとなる。
印刷業界に入って30年余り。商社時代も含めて人から学んだことは多い。「取引先の中にも多くの尊敬できる方いらっしゃいました。偉い人でも人の話を最後まで聞き、丁寧に対応してくださる。決して自らを誇らない方もおり、人生の師として学ぶことが多い」という。
太平洋印刷は、デジタル印刷機のNexPressを導入して7年目を迎えようとしているが、デジタル印刷機は仕事の波に関係なく、メンテナンスコストが一定のため、同じく一定の仕事をこなす機械として運用しないともったいない。そこで今後はB to Cなどの受注をさらに拡大していきたい、と意欲的だ。
特に同社では、平成23年からはスマートフォン向けアプリ開発事業もスタート。スマートフォンで撮影した写真を、そのまま絵はがきにできるアプリ「絵はがき」や、スマートフォンで撮影した写真を使って絵はがきにしたものを投函までしてくれる「投函しま〜す」を提供している。
このスマホ事業の強化では、一昨年、NexPress SX3000にデジタル印刷機をバージョンアップし、ゴールドソリューション化した。これにより、オンデマンドで金のイメージを印字できるようになり、絵はがきなどでも意匠の凝ったデザインができるようになった。
福武会長は、「新しい分野の新しい顧客開拓をしていかなければ、生きていけないのではないか」とも言う。そのためにも、スマートフォン向けアプリ事業でスタートしているB to C的なものにも積極的に取り組んでいきたいと考えている。
特に「絵はがき」や「投函しま〜す」では、近県に限らず、北海道や九州からも発注がくるようになった。一度、注文するとリピーターになってくれる可能性も高い。
特に「投函しま〜す」では、フランスに送りたいという依頼があり、1枚だけ印刷して、封筒に入れてエアメールで発送したという経験がある。このことから、海外へのメールサービスも考案中だ。
同社の「投函しま〜す」は、基本的には即日投函しているが、利用者の傾向として夜に入校されるケースが多く、こうした受注は翌日投函を行っている。そのため、発注者にとって、その日に自ら郵便ポストへ投函したような感覚で絵はがきを送ることができる。
「絵はがき」も「投函しま〜す」も、スマートフォンから個人が発注するニーズのため、それこそ生産されるハガキは1枚単位である。細かい受注内容ではあるが、こうした細かな対応が出来ることが「大手企業には真似できないサービスですから」と特長になっている。
特に、これからのサービスのポイントは、感動や驚きが必要ではないか、という福武会長。キレイや便利だけでは、企業力で負けてしまう場合がある。「展示会などで先進企業の取組みを拝見すると、思わず、”おお〜スゴいじゃん”と驚きます。お客様が驚いてくれる、そういうことを提供できることが大切だと思うのです」。
納期と品質を守っていればよかった高度成長期とは異なり、人口減少により絶対的市場は縮小し、印刷市場にも影響している。「私が大学生だった頃は、バブル前だったこともあり、土地価が下がるなんて想像もしていませんでした。それくらい大きく世の中は変わっています」。だから、従来通りではない市場獲得を目指していく必要がある。
そのためには、新しいものを生み出す力が必要だ。そのヒントになるのが、お客様からの「これが余って困っているから販売協力してくれないか」や「こんなものが欲しい」という声を拾い上げることと、社員が自ら「これをやりたい」「これを作ってみたい」というものに取り組むことではないかという。
特に、自分達で作りたい、やりたいと思っていることに取り組める環境を提供できてれば、仕事が楽しいと思ってもらえる環境づくりができるのではないか、ということも期待しているのである。
かつて顧客先の大半は同業他社の大手印刷会社だった。それが今では、小売りの世界となるなど、顧客先も変化してきている。時代は個人対個人の時代へ移り、口コミで顧客層が拡大することも可能だ。
まだ余力のあるうちに、色々と取り組むなかで、全てで成功しなくても、成功するものも出てくるだろう。また失敗のなかにも学べるものがあるはずだと、新しい事業にも果敢に取り組んでいるのである。
社会が変われば働く環境も変わる。福武会長は、最近、働く人にとっての環境整備についても徐々に取組みを開始した。同社の場合、袋詰めや梱包、仕分け、帯掛けなどの工程もあることから、パートタイマーの人が約30人、立ち仕事で働いている。
「パートで働いて頂いている方のおかげで手作業の工程がスムーズに動いています。少しでも働く環境が良くなればいいのですが」と、作業の床に絨毯マットを敷いたり、トイレの美化や、室内の湿気と除菌対策など、環境整備に少しずつ取り組んでいる。
今年の太平洋印刷の目標は「新しいことをやろう」だ。面白い仕事の延長線上に新しい市場があるのではないか、という期待を込めての目標でもある。そして「今の仕事を通じて、何か社会を便利に、人々に喜んでもらえる何かを作り出したいと思っています」と語っている。 |
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